■Siete(シエテ)■

 息が詰まりそうな閉塞感、一瞬止まった呼吸に驚いて飛び起きた。
 体を横たえるのが怖くてベッド脇に座って目を閉じるが、浅い眠りが続くせいか毎日毎日悪い夢を見た。

 まず腕が伸びてきて、それが自由を奪う。
 呪術のような絶え間ない言葉の雨とともに、ただただ苦痛が全身を駆けていく。
 それだけが永遠に続くような日々が眠るたびに蘇る…夢というには残酷でひどく色鮮やかに。


――思い出しただけで、息ができなくなる。
 傷を隠すために巻いた包帯が喉元に絡みついた大きな手のように思えて、引き千切るように解くと傷口に血が滲んだ。
 ずっとずっと昔の傷なのにじくじくと塞がる気配のないそれが、包帯の摩擦で小さな血の粒をいくつも作って白い生地に赤い斑模様をつくった。
 傍に落ちていた、子供の腕の剥製を手繰り寄せて抱く。それでも気持ちが落ち着かなくて、強く強くそれを抱きしめたまま立てた膝に顔をうずめた。
「目がさめたのか…?」
 物音で目を覚ましたミュカが寝台から降りてヤィデルの髪に触れようとしたが、何かに怯えた様子で彼女の手を跳ね退け寝室を飛び出してしまった。
 いつもの事に特段驚いた様子もなく、ミュカもストールを羽織って後を追う。
 体力的に劣る彼が逃げそうな場所――大概は中庭だった――を月明かりの下で捜索すると、やはり中庭の地面に座り込んで肩を上下させ不規則な呼吸を繰り返していた。
 まるで幼い迷子のように小さくなって震えているように見えた背中をすこしの間眺めた後、水辺に座り込んでいた彼に声をかけた。
「……血が出ておるではないか。」
「…………」
「のぅ、ヤィデル。今宵は月が明るいのぅ…かくれんぼをしてもすぐに見つかるぞ。」
 羽織っていたストールを彼の肩にかけてやる。
 つと見下ろすと青白い月明かりに照らされ光る金糸のような髪がひどく綺麗で、思わずそれに触れ指先を埋め、すっと撫で下ろし毛先を少し取ってくるくると弄んだ。
 最初は髪に触れる事も許してくれなかったのに、と出会ったばかりの頃を思い出してクスリと笑ってしまった。
《…もう寝ない。》
 そうして髪で遊んでいると、拗ねたような声――ヤィデルは知らない事だが、魔力を供給する見えない繋がりからミュカには心の機微が“声色”として伝わってきてしまう――が頭に響いた。
「そうか。夜風にでも当たろうかの…」
 髪を弄るのをやめ、完全に拗ねてしまった様子の彼を散歩に誘う。
《一人でいい。》
「嫌じゃ。妾も行く…」
 悪夢の後は全身が過敏になるようで、とにかく機嫌が悪くなるのが常だった彼の気をどうにか逸らそうとするが拒絶されてしまった。
 溜息をついて立ち上がると中庭から繋がる庭園の方へ歩き始めたので、ミュカも少し離れて後ろを付いて歩き始めた。
 少し冷たい風が庭の草木を揺らすと、二人の肌を撫でて止まる。ほんの少し、風がない間を置いてまた柔らかく風が吹いた。
《……風が痛い。》
 段々と足取りが遅くなっていって、最後は立ち止まり呟いた。それはもしかしたら無意識に出たんじゃないかと思えるほど、小さな小さな声だった。
「傷に障ったのじゃろう。手当てせ…」
 それに反応するか少し迷ったが、首の傷が気になっていたこともあってヤィデルの肩に手を置いた時だった。

――パンッ

《もういい…触るな》
 その手を払いのけた上に強く叩いて体を離し、これまでで一番強い拒絶を表した。その勢いで肩にかけられていたストールが地面に落ちてしまう。
「嫌じゃ。そなたの苦しみは妾の苦しみじゃ。痛みも苦しみも妾が負うから…」
 不意の衝撃にバランスを崩して地面に座り込んだミュカは彼の拒絶をものともせず立ち上がると、ヤィデルを正面から抱きしめてそう言った。
《そんな言葉で宥め透かして、私を制御するつもりか?…たかが眷属の分際で!》
 しかし激昂したヤィデルはミュカを跳ね除け転倒させ、彼女の腹を力いっぱいに踏みつけてグリグリと強く強く何度も詰った。
「っ!あ、ぐ…ッ」
 それだけでは気が済まなかったのか、踏むのをやめて膝立ちになるとミュカの髪を掴んで頭を上げさせ、出会った頃のような暗い目で睨み付けて続けた。
《お前に何が解る?ただ与えられる幸福を享受してきたお前に何が――》
 小難しい言葉を並べ立ててはいるが、その実聞こえてくる声は悲痛そのものでそれに混ざって悲鳴のようなものすら聞こえていた。
 その声にミュカは胸が締め付けられるような痛みを感じ、体を痛めつけられることよりもその痛みよる涙が頬を一筋滑り落ちた。
「…ぅ、わ、妾には解らぬ…じゃから背負う、そなたごと。」
 何とかその悲鳴を止めてやれないかと逡巡し今までは出さずにいた想いを口にして、彼の傷をすっと撫で頬に手を置いた。
《やめろ…!》
「嫌じゃ!!」
 再び地面に叩きつけられながら勢いよく身を起こし、もう一度…今度は身動きができないほど強くヤィデルを抱きしめて優しく言い聞かせた。
「そなたはもう、一人ではない…その傷も痛みも妾のものじゃ。」
 最初こそ抵抗していたが、体力が尽きたのか諦めたように大人しくなった。ずっとミュカの頭に響いていた悲鳴のようなものもぱたりと止んだので、腕の力を緩めて彼から少しだけ体を離そうとすると、ヤィデルはミュカの髪束を少し手に取り軽く引いて引き止めた。
《……眷属のくせに…》
「それで構わぬ。どうせ一蓮托生の運命なら、妾はそなたに寄り添いたいのじゃ…。」
 そして手に取った髪がさらさらと手の中を滑り落ちていくのを眺めてから踵を返し、来た道を戻り始めた。
《…………寝る》
「そうじゃの。薬湯を持って来よう…」
 落ちていたストールを拾い上げ、来たときと同じようにヤィデルの少し後ろをついて歩いた。本当はその隣に並んで歩きたいけれど、今はまだそれはできないのだというのも解っていた。
 そんなことを考えながら歩いていると、つと彼が立ち止まるのでぶつかりそうになってしまう。
《ミュカ》
「なんじゃ?」
 初めて彼女の名前を呼ぶ――ミュカにはそれがひどく嬉しくて、破顔しそうなのを必死に堪えて短く返事をするに留まった――何か言いたそうな様子だったので待っていたが、結局は何も言ってこなかった。
《…いや。いい…》
「そうか。」
 その時言いかけた言葉は、いつか聞くことができるんだろう。
 そう思って今度はヤィデルの手を取り、少し引っ張るように歩き出した。月が明るく照らす庭の草木は、相変わらず穏やかな風に揺れているだけだった。


 いつものように床に座り込んで足湯で温もった足に触れ、膝を抱えてぼんやりと敷物の模様を眺めていた。薬湯のせいか微睡みはじめたところで目をゆっくり閉じ、ミュカに言われたことを頭の中で整理する。

――妾はそなたに寄り添いたい

 傍に転がされていた腕の剥製――弟の腕を切り落として作ったそれに指先で触れ、いつものように抱きしめるか逡巡して、やめた。
 どうしていいか解らない気持ちの置き場所を考えるうち、微睡んでいた意識がより深い眠りの方へと落ちていく。そのうち意識を手放して眠る…今度は、夢も見ないほど深く。



【終】

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こういう小さな出来事の積み重ねが二人の関係に繋がるんだと思ってます(笑)
この辺はものすごく時間がかかって関係を紡いでいく部分で、二人にとっては一番大事な時間かなーと(´v`)
どこをどうしたら子供がー!という部分はまた今度で…!
あとこの二人のテーマ的なものといたしましては、プラトニックラブです(´ρ`*)
心で繋がってるから、体の繋がりは2の次でいいや!的なw
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