龍谷事変

 汚れなき清水を湛える谷に、静かに暮らす龍の番いがおりました。
 炎を纏った様に赤い真紅の翼龍は、龍族の頂点に君臨する純潔の女王「燭犠(しょくぎ)」
 谷の深く蒼い清流から抜け出した様な蒼碧の鱗を纏う翼龍は、女王の番いであると同時に守護者たる雄龍の戦士「蛟(ミズチ)」
 真紅と蒼碧の番いの翼龍は、たった二人だけの部族「神の目」と呼ばれる一対の聖獣だった――あの時までは。



《龍谷事変》



 創世の頃、神より賜うた「祈り」の使命を、二人は寄り添いながら続けてきた。
 終わることのない使命を永久に続けながら、神の目となり声となって尽くす女王燭犠と、彼女を支え続ける戦士蛟の絆を裂いた事変が起る――


 燭犠が祈りを終え、蛟の待つ閨(ねや)に下がろうとした時だった。彼女らの棲む谷に轟音が響き、ぐらりと地が揺れた。次いで、二人に侍る家来達の叫び声や恐怖に戦く声が聞え、燭犠は混乱してしまいそうになる。そんな時、燭犠の脳内に蛟の苦しそうな…喘ぐ様な声が直接叩き付けられた。
(燭…っ!今すぐ安全な…地下に、地下に籠れっ!君は俺が守るからっ…すぐに迎えに行くから…隠れ…て…)
「蛟っ…一体何…」
(早くっ…後でちゃんと話すから…お願いだから…)
 一方的に声が途切れる。その後どんなに呼び掛けても、蛟が返事をすることはなかった。

 龍谷の入口…人間界との狭間にあたる青龍洞の終着にある大岩の上に、蒼い髪の少年が片膝を立てて座っていた。
「…お客人。ここから先は龍王のおわす城…こんな夜中に謁見の報せは無いが、一体何のご用か?」
 そこへ現れたのは、長い赤髪の男だった。彼は少年に興味などないとでもいうような素振りで、無視をして通り過ぎようとしていた。

タンッ

 少年は岩から飛び降り、その男の目の前に立ちはだかると、威嚇する様に睨み据えて姿勢を低くした。
「…邪魔だ。退け。」
「邪悪なる者よ、即刻立ち去れ!!我は龍王の番いにして守護者、蛟…無益な殺生はしたくない。」
「はん…やれるなら、殺れ。本当にこの私を殺せるなら、な?」
 あくまで高圧的な態度のまま、蛟に不敵な笑みを向けた男は徐に彼に手を翳した。口の中で何か唱えると、手袋に包まれた掌の中心にみるみる真っ青な光が集約する。それは瞬間的に圧縮されて消えたかと思うと、次の瞬間には大きく膨らんで球を形作り蛟の頬を掠め、彼の背後にあった大岩を木っ端微塵に吹き飛ばしていた。その音は洞窟の中で大きく反響し、轟音となって龍谷を揺らした。
「…な…!!」
「…蛟と言ったか。私を殺せるのならやってみろ。」
 それこそ良い余興だ。そう付け加えて、口角をくいっと上げて嗤う男の冷笑に背筋が凍る。
「…目的は何だ?」
「…ソーマ、龍王の涙…否、龍王の御身を奪いに。」
 彼女だけが作り出せる秘薬のみではあきたらず、龍王自身を求めるとは…。蛟は呆れたように表情を歪めてから、より一層キツく男を睨み据えて言った。
「その様な邪な願い、聞き届けるわけにはいかぬ。そなたが罷り通るというならば、問答無用…!!」
 どこからか現れた大きな槍を振りかざし、蛟は男に攻撃を仕掛けた。しかし、その切っ先が男に届く事は無く…代りに、男の手から放たれた無数の刃が蛟の全身に突き刺さっていた。蛟はのたうちながら地に這いつくばり、やがて少年であったその姿を本来の翼龍へと変化させた。
「…ふん。この程度で変身を維持できなくなるとは…話にならんな。」
(燭…っ!今すぐ安全な…地下に、地下に籠れっ!君は俺が守るからっ…すぐに迎えに行くから…隠れ…て…)
番いの龍に話しかけながら、如何にして龍谷を脅威から守るか考えた。
「…そなた、名は?」
「……死にゆく者に語る名などない。…それも酷か?ハッ…良かろう。ルードヴィグ…超越せし狩人だ。」
 その名を聞いて、目をゆっくりと伏せた。まるで覚悟を決めたようにも見えるその動きに、ルードヴィグと名乗る男は冷笑を浮かべた。
「…超越せし狩人よ。王の御身の代りに、私の首と血を持ってゆきなさい。私の血はソーマに…首は魔力を高める糧になろう…」
 己を犠牲にする事で燭犠を守ろうとしたのか、蒼碧の龍は大人しくその首を差し出した。そして、蛟は…愛しい番いに最期の言葉を告げる。
(燭…何があっても、涙を流してはいけないよ?君は…君自身を守りながら使命を果して。その身が汚れぬよう、自身を封印して……)
 彼女の叫びを聴けば、決意は揺らぐから。耳は閉ざしたまま…けれどもとても優しい声で彼女の心に囁いた。
(愛してるよ、燭犠。今度生まれ変わる時は…ずっと君の側にいるから……俺のわがままを許して…)
「……ソーマが手に入るのなら、これ以上ない話だ。貴様の首、貰い受ける。」
 燭犠に苦しむ声が漏れぬように、心を閉ざした。もう一度…腕に彼女を抱き締めたかった。ぽつりと浮かんだ淡い願いは、次の瞬間に断ち消えていた。…己の首と共に。
「…ソーマはこの瓶に。」
 ぽろりと剥げた一枚の鱗は、透き通る青い硝子瓶へと姿を変えた。溢れる血がその瓶を満たす様を見る事無く、蛟は息絶えた。
「…神の目で見届けるがいい…神に仇成す愚かな道化の姿を。貴様も高みへ連れて行ってやろう…死屍累々と積み上げられた屍の成す高みへ――。」
 蛟の眼球を抉り出して口にしながら、ルードヴィグは己を嘲笑するように嗤い、首を抱えたまま洞窟を引き返した。

残された蛟の体は結界となって壁を創り、以降は神族以外の侵入を拒絶した。


――神の目たる聖獣の片割れが、ひとりの魔術師の手に落ちた。
この日を境に、龍王・燭犠は地下に籠り…数日を経て地下の扉を開いた彼女は、幼い少女の姿であった。彼女は龍王であり、燭犠ではないのだという。
平和であった龍谷に起った事変は、後にも先にもこれだけだった。そして、全ての民の記憶から蛟の存在は忘れ去られてしまった――。



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濔崋さんの両親の話。
かなり昔のSSを変わってしまった設定に合わせてちょっと改変してあります(笑)
書いたのはもう6年近く前なので、色々すごい恥ずかしい掘り出し物になりましt
この話は過去の歴史みたいなものなので、改変は名前だけで住みました〜
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