++ Pure1 + 八雲 ++

++ Pure1 + 八雲 ++

八雲【CHORD:08】。その適正の高さから、零…今は雫であるCHORD:00のドールより高等の薬物モルモットとして扱われていた。


6月18日
【CHORD:08】とよばれる、被験体を預かることに。目つきの悪い、比較的体の小さいドールだった。流石に【CHORD:08】のままでは可哀想なので、名前をつけてやろうと思った。8番目だから、八雲。安直かとも思ったけど、自分の好きな名前をつけてやることにした。


6月19日
早くも挫折しそうになる。八雲は…耳は聞こえないし、目も満足に見えない、声も…声も長年出さなかったせいか、舌が退化してまともに喋れないようだった。嗅覚も味覚も、殆ど無いに等しい状態で…。どうリハビリしてやればよいか分からなくて。
何とか社会復帰して幸せに暮らしてほしいのだけど、薬物で酷く痛めつけられた体はちっとも快方に向かおうとはしない。まだここにやってきて2日目だからとも思ったけれど。



八雲の記録を書き終えて、そっと振り向く。八雲は眠っている。あんまり可愛い寝顔だからちょっと触れてみたくなる…。
八雲の髪は、真っ白。薬物で色素を無くしてしまったらしく、人工的なアルビノの状態になっている。本当ならば綺麗な黒髪の男の子だったらしいけど、今では見る影も無い。髪質も変わってしまったようで、櫛通りの悪い縺れた髪だ。
すやすや寝息を立ててるから、ちょっとだけ触りたくなってしまう。さっきから葛藤が続いていて、でも触りたいほうが強いような。これじゃまるで変態みたいだ。全くもう…

「んぅ…」

あ、目‥覚ましちゃったか。ごめんね、八雲。

「ぅ…ぁぁ…ぅぁ…?」

俺のこと探してるのかな?

手を動かして探してる所に、自分の手を持って行って触れさせてやる。

「っ…?!…ひゅ…」

跳ね上がって、ビックリしたように手を引っ込めた。

「ひゅー…ひゅー……」

喘息の発作のように苦しそうな呼吸。嫌がる八雲を無理矢理抱き寄せて、口移しで口の中に薬を流し込む。じたばたと暴れて、俺の舌を噛みそうになった。慌てて口を離して、ハンカチを八雲の口の中に詰め込んだ。
苦しそうに涙を流して、俺を見上げる。きっと、八雲には何も見えてないんだろうけど…。ただの患蓄だから、情を移して苦しむのは自分だって…そんなの分かってる。でも、八雲に残された命は数年。本当に僅かな時間だけ許された自由。俺は有名でもなければ、ベテランってワケでもないただの獣医だ。だいたい、ドールの専門じゃない。なのにどうして、俺にこの子を預けたのかが分からない。



6月26日
八雲を預けに来た男から電話があった。『あなたにCHORD:08を任せます。』と…『どうか、08…八雲…を幸せにしてあげて下さい。お願いします…お願いします…』それだけ言って、切られてしまった。あと3年しかない。途方にくれるしかなかった。


6月27日
八雲が俺の手を齧る。齧るというよりも甘噛みで、子犬がじゃれてくるような仕草。可愛いと素直に感じた。甘噛みしては口の中でしゃぶって、また甘噛みの繰り返し。俺の手は美味しいのだろうか?考えて笑いがこみ上げてきた。いつの間にか声に出して笑っていたようで、八雲が甘噛みをやめて俺を見上げていた。口の周り、涎だらけで。俺の指も涎だらけだけど、袖口で八雲の口元を拭ってやると、きょとんとしていた。そういえば、最近は発作が少なくなった。それは単なる偶然なんだろうか?ちょっとだけ希望が見えた。


八雲が、やたらと窓のほうに向かって発声練習(?)している姿を良く見るようになった。昨日も、今日も。お日様に向かって、掠れた…切なそうな声で鳴いている。八雲はどんな気持ちなんだろうか。理解しようとすればするほど、どうしようもなくもどかしい。上手く出来ない意思の疎通に、苛々がこみ上げてくる時がある。そんな時、八雲は決まって例の発声練習をする。俺に、何か言いたいのか…?確かな証拠なんてないけれど、聞かずにいられなくて…わからないかもしれない。理解できないかもしれない。けれど…

「八雲…」

「・・・・?」

きょとんと、こっちを向く。

「八雲は、なんで、鳴くんだ?」

できるだけゆっくり、八雲の耳の近くで囁く。

「ぁ…ぅ、ぉ…ぁ…」

何か伝えようと俺の目を見て、手をぱたぱた動かす。母音だけの、言葉と呼ぶにはあまりに稚拙な声を発して。

「ょ…じぃ…」

「…え?」

「きょー…じ‥ぃ‥」

満足気な顔で俺の胸に飛び込んできた、小さな体。ふかふかのロップイヤーが俺の右腕にへたりと垂れる。確かに俺の名前だった。腕の中で、小さく震えてる八雲は、俺を見上げて微笑んだ。

「八雲…!」

たまらなく、胸が締め付けられて。上手く口では言い表せない気持ちになって…。

「きょ…じぃ…」

苦しいよぉ…そんな風に聞こえる八雲の呼び声に我に返った。きつくきつく抱きしめすぎたのか、八雲はちょっと苦しそうだった。改めて優しく抱きしめると、今度は例の甘噛み。舐めて噛んで、咥えて、触って。八雲なりの愛情表現なのかもしれない。結構都合よく捉えすぎかもしれないけど、そう思いたくなるほど…八雲を愛しく感じていた。たった10日間、一緒にいただけなのに…。



八雲が生涯、言えた言葉は…2つだけ。


『恭二(きょうじ)』


『好き(すき)』


これだけで十分だった。これだけ言えれば、俺たちは幸せでいられた。小さな2人だけの世界。
八雲は可愛くてしょうがない。俺は八雲が息を引き取る瞬間まで、涙を流したことがなかった。生まれて初めて流した涙は、八雲が死んでしまってからの一週間とめどなく溢れた。分かっていた。3年間しか一緒にいられないこと。頭の片隅で、否定しながら、目の前の温もりだけに縋った。どうして八雲なんだろう、何で八雲が死ぬんだろう。もっと沢山一緒にいたかった。もっと沢山、話したいこと行きたい所、やりたいこと…沢山あったんだ。



大好きだよ、八雲。




【ツヅク】



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何となく気づいた方もいるかも?
ひとつの本にオムニバス形式で書いたものです(´ω`)マダアルヨー
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